時間は進む。だから、対等なのである。
タイトルはかなりカッコつけたタイトルになってしまいました。
というのも、最近私の友人から連絡があり、タイトルと似たようなセリフを言われ、かなり考えさせられました。本日は、そんな友人の何気ない一言に対しての、私の考えをメモしたいと思います。
◆経緯1:何も考えずフェイスブックを閲覧中
何も考えてませんでした。本当に、特に何も。
私にはご想像通り、あまり友人はいません。少なくとも今現在、私の周りには友人と呼べる存在の人物は近くに存在しておりません。
なぜ、フェイスブックを見ていたのか。本当に特に理由がありませんでした。強いてあげるなら、何か儲かりそうな話は転がっていないかなという感じ。それ以外、今となっては何も覚えていないくらい無意識の中でフェイスブックを見ていたのです。
◆経緯2:向こうは知らない片想いの知人
友達リストには友達は1人もいません。その理由は色々ありますが、本名で登録してませんし、更新もまったくしていないからという理由がメインでしょうか。それとも、私に友達が本当にいないからでしょうか。とにかく、私の友達リストの中には1人も友達が存在していないのです。
フェイスブック上部の友達かも?に私が一方的に知人だと思っているある人物が登場しました。懐かしさでついクリックしちゃいます。
私が長年会っておらず、知人だと思っていた人物の知らない姿がそこにはありました。学生時代はよく遊び、仲良くしていたはずの知人は結婚し、間もなく出産するという幸せ報告をフェイスブック上にアップしていたのです。
私はその記事を見た瞬間、無条件においてけぼり感を感じておりました。今の私には誰もいない。なにもない。同じ時間を過ごしてきたはずなのに。。。
◆経緯3:タイミング良く友人からの電話
知人の友達リストには数多くの知人の顔が並んでいました。そのリストから知っている顔をポチポチして閲覧していたその時、私が心から友人だと思えるある女性からの電話が鳴ったのです。
あけましておめでとう。という他愛もない話から始まり、なぜ急に電話をかけてきたか尋ねると、私が彼女からの連絡を無視し続け、何度連絡をしても繋がらないからという理由だけで連絡を掛けてきたようです。
そこで私は何気なく、ある言葉をささやきます。
◆経緯4:自分の心の声
「私は今フェイスブックを見ているのだが、かなり時間の過ごし方を間違えたようだ。私の周りには何もない。誰もいない。まるで自分だけ時が止まっているように感じる」
久々に声を聞いた大切な友人にそんなネガティブな発言を聞かせる私は、自分の中で最低だ。消えてしまいたい。そんなことを何度も思い涙してしまいました。
しかし、彼女からは意外な言葉が返ってくるのです。
「ん?どしたん?そんな感じだったっけ?私の中にはいつもあんたがいて、いつも同じように時を過ごしてきてると思ってるけど?間違いなく、あんたと私と、それから、みんな一緒に同じ時間を生きてるよ!ぢゃないと、あんたの存在なんか忘れてるだろうし、連絡がこないことなんて気付かないと思うけど。相変わらずあほなんやな」
よくそんなことが言えるなと思い関心し、また涙しました。
彼女は私を対等に見てくれている。今までもそうで、だから心からの友人と呼べる存在であったことに気付かされたのです。
◆対等である。そして、友である。
今から思えば、彼女は人に対してムリをしません。ムリに相手を好んだり、ムリに相手を持ち上げようとしたりなど、たとえ初対面であってもそんなことは一切お構いなし。いわゆる無敵というやつです。
・褒めない
・相手を思いやる
・上も下もない横の関係を持つ
これらは全て「アルフレッド・アドラー」の思想そのもの。この日は、私にとって一生忘れられない日となることでしょう。
もし次に会えれば必ずこの言葉を友人へ贈りたいと思います。「ありがとう」
アルフレッド・アドラーの思想がここに!