思い込みという名のエンジン
想像してみてほしい。エンジンというのは誰かにかけてもらうのではなく、自分でかけるものである。車に例えてイメージするとわかり易い。目的地を決め、いざ出発する時はどうだろうか。そう、キーを挿し右に回す。すると車は走り出す。最初はゆっくり、そのままアクセルを踏み込むとスピードを上げる。それが自然な流れだ。
今日はエンジンのかけ方についてメモをしていきます。冒頭に述べた車のエンジンではありません。
自分のやる気、もしくは、気持ちや行動、習慣にエンジンをかけるというイメージでしょうか。日々の習慣やこれから何かを成し遂げようとしている方に、私の考えがヒントやきっかけになれば幸いです。
◆思い込みという名のエンジン
自分の思い込みで全てがうまくいったり、あるいは、全てがダメになったりする。そんな話を聞いたことありませんか?いずれにせよ、思い込みというものは、正にも負にも凄まじい力を発揮するエンジンだと考えます。
やる気がでない。あるいは、よし!やるぞ!というのは全て自分の思い込みなのではないでしょうか。しかも、この思い込みというものは厄介で、一度思い込み出すとどうにもブレーキが効かないみたいです。私も一時期は下方向に思い込みが進み出し、どうにも止まりませんでした。
それでは、思い込みというのはどのようにして作り出されるのでしょうか。私の考えを次にまとめたいと思います。
◆まずは習慣から行動、癖、発する言葉
人の習慣というものは、日々の行動がまとまって習慣と呼ぶというイメージでしょうか。朝起きてから始まり、会社で仕事、帰宅してのような一連の行動パターンが習慣である。私にはそのような認識があります。
では、人の行動はどのようにして成り立っているのでしょうか。それは、日々の選択、そして発言からだという認識があります。人の行動パターンというのはある程度決まっているそうです。行動がパターン化されているということは、自身の思考や選択もある程度パターン化されていると考えてもよいのではないでしょうか。
つまり、人は決められた行動パターン(決められたルール)の中で生活し、決められたルールの中で選択し、決められたルールの中で思い込むということになります。
もう少し深くまで探っていくと、日々使う言葉も決められたルールの中で発せられ、発する言葉もパターン化してくる。その決められたルール内で全てが作られており、決められたいつもの人間同士でパターン化された会話をする。これもまた、決められたルールの中で決められた人の影響を受け日々を過ごしている。そのようなイメージが強くあります。
◆何かいつもと違う選択を
決められたルールの中で生活していると、見えるものも変わり栄えせずどんどん視野が狭くなってくる。しかし、そんなことにも気付かずに日々を過ごしている。私はふとそのようなことを思いました。しかし、これも思い込みかもしれません。
そこで、日常に違和感をあえて作るようにしました。ほんの少しの違和感です。
日々通勤に使っている電車を一本早くしてみるとか、食べる物をあえて嫌いな物を取り入れてみるといったことです。すると、何も変わっていないような気もしますが、少し気分が違います。あれ?と思うことが少しづつ増えてきているのです。そんな違和感をあえて作った日常が、少しづつ日々の習慣を変えていっている気がします。
◆思い込みは意識は瓜二つ
日常の習慣を少し変化させることで、あることに気が付きました。私はあえて日常に違和感を作っている。これは、意識をいつもと違う方向へ向けていることと同じなのではないだろうか。ということは、思い込みという名のエンジンは意識的に動かすことが出来るのではないだろうか。
目的地を決め、キーを挿し右に回す→目標を設定し、やるべきことを決める
少づつアクセルを踏み込む→日常に違和感を作り、普段の行動パターンを変えていく
するとスピードを上げる→習慣が変化し、軌道に乗る
このようなイメージです。
◆周りからのありもしないデタラメの影響
私は億万長者になる。宝くじで一等を当てる。などを友人に伝えると、ほぼ、間違いなくこのような回答が返ってきます。ムリだろう。
しかし、友人について自分はしっているはず。自分の友人は神でもなく、預言者や有名な占い師ではないということを。自分と同じ人間なのだということです。
競馬予想師の予想は中々ハズレます。1.0倍の馬が1着に入らず敗れることも稀ではありません。ましてや、そのような人気馬がいるからこそ、チャンスが生まれるというものです。物は考えよう。絶対はあり得ない。あるとすれば、今生きているということ。いずれは死んでしまうということだけなのです。
今一度自分の生活習慣を見直してみて下さい。そして、あえて日常に違和感を作ってみてはいかがでしょうか?もしかすると、全てが変わってくるかもしれません。そう、車が走り出すように。それが自然な流れというものではないでしょうか。